

おとといは自転車のタイヤが突然ものすごい音をたてて破裂したという貴重な体験をし、気分が高揚した。昨日はごみ箱がひっくりされた状態のまま放置されているのを見て、その有様に衝撃を受けた。そういう体験から、ビッグ・バンによって生まれ得た僕らは、日常における「リトル・バン」に共鳴して、突発的に、超神秘的な何かを頭に描いたり、快感、不快感、高揚感、絶望感といった感情を生むのだと僕は理解した。
人間の妄想がいつしか均衡を保てなくなり、音楽や言葉や造形といった表現としての爆発を起こすとき、それを芸術と呼ぶのかもしれない。ためて、ためて、飛び出したものは、パワーがある。だからそれを見た観客がエモーショナルな共振を起こし、テンションを上げる。そしてそれがまた新たな表現の火種になるのだ。
「リトル・バン」は表現の起点になる。実は誰もが知っていることかも。
P.S


←過去に沢山の爆発を描いてきた。色んなものが頭の中にたまってるんだろうな。
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