最近ほお毛の伸びが激しい。
1.5倍くらいの速さで伸びてる。
絶好調なのかな?
ところで本題。
今日は旧大賀APスタジオの座談会に「九州好青年科学館」館長の肩書で出席。アーティストの共同活動に関して語らいました。共同アトリエを始め、地域参加型のプロジェクトやアートスペース、展示会の運営、ムーブメントといった様々な形と目的があり、活動を継続する上での問題点と解決策があり、継続することの意味がある。そして、指導者はいかなる方法で団体をまとめていくか、指導者の立場がどこにあるのか。ふわふわしてはいたけれど、なかなか面白い内容でした。
福岡の芸術活動に関して。
福岡にはアートの意識が低く、行政、教育、歴史的な問題が絡んでくるため作家の力では簡単には変えられない。そういったわけで、観客が観客で終わってしまうという問題がある。これは関係者にとってはかなりの問題だ。多くの人間が長い間その解決策を練っていると思うがなかなか難しいように思われる。
福岡の作家はコンテクストはないが、やっぱり個人個人の表現に対する想いは強く、それが生のまま表現されていくと聴いた。でも、それは芸術の根底にあるものだったりするわけでそれはそれで間違いではない。先日瀬戸内国際芸術祭で感じたことを思い出させた。ただムーブメントやお金につながらないだけで…。
商業的な話で言えば…
スタジオアパートメントKICHIのシステムは面白いと思った。指導者(というかこの場合はキュレーター?もしくはクライアント?)が不動産業者なのだ。住みたい人の作家性と人間性を審査し、理想的なアートスペース&スタジオ兼居住空間を作り上げていくことができる(そこまで制御してないだろうが)。またイベントがそのまま不動産やプロジェクトの宣伝活動になるらしい。さらにはチラシに至るまでの運営費がコンスタントに確保されているなど、資金面でその都度悩まなくていいのは作家にとっては利点だ。
ただ、こういう形で始めると、アーティスト同士は最初から同じ思想を持っていないわけだから、共同アトリエよりずっと出たとこ勝負の化学反応型だと言える。いずれにせよ指導者・運営側の立場によってアーティスト共同体が様々な形で存在し得ることは興味深い。
まーお話の面白い方々でしたわ。
最後にずっと考えてたことをひとつ。
団体は生き物みたいなもの。メンバーが入ったり抜けたりして思想が変化していって結局崩壊していくもの。道半ばで歪が生じて離脱ないし挫折してしまうこともある。だけど、衣食住を共にし時には喧嘩しお互いを深め合っていった仲間とは、その後もずっと繋がっていける。新しい作品やプロジェクトで必要になることも多々ある。こうした親密な繋がりは団体の目的以上に個人には大事なもののように思う。
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